鈴木雅久のひとり部屋
御朱印の魅力について
御朱印とは、寺社仏閣のおしるしである。

通常、御朱印帳と呼ばれる冊子を本人の希望する寺社仏閣で購入し、その冊子に各寺社仏閣で印をもらい、保管するものである。
一般的な印の形状としては、毛筆でブツ(仏)のサインを住職その他に書いていただいて、大きな朱印をおしていただくのである。

信心の心から、毎年同じところでもらって同じ御朱印を続ける人もいれば、ただひたすらマニアのように神社でも仏閣でももらい続ける人とさまざまいる。長野の善光寺、川崎の川崎大師、成田山新勝寺等、基本的にはメジャーなブツの鎮座まします寺社が多い。
神社についてはブツがいらっしゃらないため、御朱印はいただけてもそのサインはあまり意味の深いものはないようだ。(たとえば伏火の愛宕神社などは「愛宕神社・ほおづき祭り」というように書いてある)
大日如来の別の側面とされる不動明王を祭司する寺社などではやはり不動明王と、はっきりかいてある。

魅力の1としては、この毛筆サインにある。住職自ら画くブツのサインはさすがにどこも慣れており、ムムッと感じるところも多い。ただし運悪く若い住職や息子、場合によっては年輩のお母さんが画くサインにはどうみても「こりゃーあんまり書き慣れてないな」とかがっかりすることも多く、「・・・これは御利益ないな・・・」とか「300円無駄にした」場合によってはページを切り捨てたくなることもままある。

とてもこんな私にほとけさまの御利益があるとは思えない。

それでも御朱印には、魅力がある。。。。。。

神社ではすでに書いたとおり、ブツがおらっしゃらず鏡しかないのでほとんどの場合巫女さんがかく。巫女さんのかくサインはだいたい素人の場合が多い。別のページに一部掲載してあるが、神社の場合と寺社の場合で是非比べてみてもらいたい。それでも中には鶴ヶ丘八幡宮のように鶴のようにすばらしい御朱印をいただくこともある。
もちろん人間の書くことであるからして、まとめて3人分頼もうもの
なら3人目の人は、1人目の人ほどうまくはないであろう。
不遜きわまりないことを列記しているが、私は信心の心から御朱印をいただいていることを念のためここに記載したい。

魅力のその二としては、朱印そのものにある。
朱印は神社仏閣によりもちろんさまざま異なる形状であるが印の形状についても興味をそそる。素人なものであまりその系統はわからないが、どうも大日如来系(不動明王含む)、釈迦如来系、地蔵菩薩系で印の形状に同一性をうかがわせるものもある。詳しいところはマニアが好みそうなさまざまな冊子が販売されているのでそちらをご参照願いたい。
ただメジャーなブツ、メジャーでないブツで系列はあるようだ。個人的にも、訪問した寺が釈迦如来とか、降三世系、いずれにせよあまりメジャーでないところだとうれしく感じることも多い。なかには京都の清明神社のようにすでに御朱印を発行しない(しかも朱印の形状はゴボウセイとかロクボウセイといううわさがある)超プレミアのところもある。もちろん単なる収集マニアでは私は決してないので、自分で戴きに行かなくてはならないのだが!オークションなどに出ていても決して価値のあるものにはなり得ない。

魅力その三としては、むしろ寺巡りと称して遠出をするところにある。私のように住宅ローンあり、妻子あり、転職を許されない仕事あり、そして小遣いなしの人間にとって、少ない金額の投資で遊べるところは、漫画喫茶(450円相当)か寺巡り(300円+交通費)しかないのである。パチンコ(1万円)、酒(5000円)、競馬競輪(1万円以上)、そのようなものはすでに子供の遊びであり、分別の付く大人は寺巡りをして寺に行く金もないときは(ガソリン代がないときは)、漫画喫茶にでも行っていればいいのである。でなければ睡眠していればいいのである。もっといえば仕事をしていればいいのである(泣)。

ところで平成15年1月1日、私はいつものように川崎の川崎大師(弘法大師そのものを祭司している)、穴守稲荷(羽田おきの堤防の神様)、深川八幡宮、深川不動尊といつも4カ所をAM6:30ごろから車で回るのだが、例年参拝者が少なくなっている。これも団塊の世代のいいかげんかがすすんだためと私は考えているのだが、別の時間帯に行った者によると「1cmも動けないほど混雑しており、金を遠くから投げに行ったようなもの」といっていた。どうも時間帯がづれてきているようだ。

ところで穴守稲荷に行く時間帯はいつも朝8時すぎごろなのだが、穴守様の醍醐味は、御砂を戴くところにある。奥の方においなり様の別棟があり、砂に半分埋まった小さな小さな社があり、そのやしろを覆う御砂を小さな神袋に戴いて、それを自宅に持ち帰り、家の周りとりわけ玄関前にまいておくと、悪い運気を防いでくれるというものである。
ご存じのように穴守様はもともとは羽田空港の滑走路付近にあり、空港建設時に移転されてきた。移転にまつわるさまざまな話が伝わるが、全部を移転するのは不浄な人間ごときにはとても無理(大勢にたたりがあったといううわさ)ということで、駐車場に一部を残して本殿その他を今の土地に移したとのことである。最近になって追加工事に伴い、駐車場に残った一部を、今の神社に全部移すということで工事を開始したときも、鳥居をクレーンで地面からあげたとたん、空に一転黒雲がモクモク湧いて強風が吹いたと読売新聞に載っていた。すわ、たたりか、とみなが動揺したそうだが、工事は無地に済んだそうだ。その後不浄な人間にたたりがあったかどうかは不明である。
話が長くなったが、今年の一月一日の、この御砂がいただける穴守様の奥の社は、はじめてみたが扉が閉まっていた。御砂のところだけ、まるで猫が出入りできる小さな小窓が開いていたが、袋が見あたらずビニール袋に入れて戴いてきた。お務めの男性がいうには「もうすぐ開くと思うんですが」とのことだった。こんなこともあるもんだと珍しいことに遭遇した。

正月4日には、調布の深大寺へいってきた。ここの歴史は古く、平安時代にまでさかのぼる。参道には茶屋や土産屋がのきをつらね、うまそうな焼きたてのせんべいや、甘酒、だんごにお酒と道行く人々をにぎわせていた。