デザインフェスタ2006秋の思い出(06/12/2,3)
正当派の「アート」。
これもまた道である。道なき道だけが道ではない。
むしろ道があるだけ、比較対照されるのでされるので、道は険しい。
なかには我関せずで「ゲージツ」に近い道を行く者もいる。
なかにはニッチでカテゴリーナンバーワンを目指す者もいる。
「ゲージツ」が子宮であるとすると、かれらは無垢の子供、その2本の足をもってして、いったいどこへいくのか。
確実な道はない、あるのはただ羅針盤のみ。それでいい、風の吹くまま流れ続けるのが、アートだろう。
夏の夜の花火のように、輝きは子供たちが寝入るまでずっと心に残るだろう。
そして消えていくだろう。
人の世に滅せぬもののあるべきか。
盆栽老人。デザインフェスタの情報はどこで入手したのだろう。 暗いコーナーが設置されている。
光を活用したコーナーには、人々をここを静かにさせる作用があるようだ。ビールの勢いも消え失せて、おとなしく見入る。
光が心安らかさを導くのはなぜだろう?
よくわかんないなにか。
この女の子、最高に美人だった。
結婚したい。
絵は動きのあるちょっと先鋭的。
ネイティブアメリカン系のアート。詳しい説明は要らないね。
この人はまさにカテゴリーナンバーワン、説明が要らないと言うことがすでに。
子供が帰りたいと騒いだらここへ。
しばらくおとなしくなるでしょう。
こどもは、そのものがすでにアートといってもいい。
口から出る言葉すらすでに小説家。
こういうのは少なかったな。のぞき込んで見つけるって言うの。ここも光を活用したすてきな照明器具が飾ってある。