ネパール遠征・2009年10月
  〔トレッキング報告〕
  〔アンナプルナ邂逅編〕
山行報告
 ○場所 : アンナプルナ山郡 ジョムソン街道 〜 ツブロギン峠(Thulobugin)4310m
 ○日程 : 2009年 10月 4日 〜 10月 18日
 ○パーティ : L大関、鈴木、ゴンバ(ガイド)
コック1名、キッチンボーイ1名、スタッフ2名、ポーター6名・・・計13名
白き神々を、この目で再び見れることに期待を込めて、大関さんの計画に参加し、2回目のネパール行きを実現した。

経済発展著しいインドの隣国として、ネパールは友好国としての恩恵にあずかり、中国チベットとの緩衝地帯の役目も負っている。
それが為、自動車道路が延長され、丈夫な車の走れる道はムスタン近くまで通じていると聞く。
タカリ族商人がチベットの塩をインドに運び、インドの米をこれら地域に運ぶ交易路として 栄えたジョムソン街道は、カリカンダキ渓谷沿いに自動車が走り、私たちは これを利用して タトパニまで歩かないで入ることが出来た。
ツロブギン峠は、ダウラギリ峯とアンナプルナ峯の格好の撮影地として注目されており、ここを越えてニルギル峯のアタック基地まで1日行程、アンナプルナ峯のアタック基地まで2日行程の好位置にある。
コスモ&トレック社に、チームの編成を委任し、総勢13名でトレッキングを行った。


10月4日・日曜日
成田エクスプレス東京発13時10分で、大関さんと合流し成田へ
夕刻バンコクへ向かう

10月5日・月曜日
バンコクからカトマンズへ移動し、コスモトレックで行動詳細打ち合わせを行う。
曇り カトマンズ.ツシタホテル泊まり

10月6日・火曜日
カトマンズから飛行機でポカラへ出発するも..滑走路トラブルで引き返しとなる
雨 しばらく待機の後、再び飛び立つことが出来て、胸をなで下ろす
ポカラ空港から小型自動車でベニに向かうが、カニヤガルで乗った自動車、走行不能
オンポロ4輪駆動車に乗り換えて、ベニへ行く
ベニで全員集結、ここからは旧式の4輪駆動車2台でタトパニへ向かう、途中崖崩れ有り
道路は、どろどろのぬかるみ つづく 各所で自動車立ち往生していて 人が降りて
押している。
一度でも停止したら 私たちも同じ事になるので 運転手必死
雨足が強くなった頃、1号車.18時45分タトパニ(1190m)へ到着 後続まだ来ない

10月7日・水曜日
朝になっても後続車来ない。ポーター達土砂降りの雨の中、歩いてきた
大雨。10時位までに、徒歩の人たちそろう。本日停滞。
私は一人、ゴレパニ峠への分岐まで歩いて道路状況を見に行くが 数カ所で崖崩れあり

10月8日・木曜日
日の出前に雨が上がり、今日から期待できる。
晴れ 6時起床.7時朝食.7時30分出発、右手に、グランバリエール(アンナプルナ大障壁)望める
カプレ10時5分.昼食 本日の宿泊場所 ガーサ(2110m)には13時25分到着
ロッジ泊まり

10月9日・金曜日
今朝もオリオン座が真上にある。6時起床.6時30分モーニングコーヒー7時朝食
晴れ ジョムソン街道からの分岐点にあたるレテを目指して7時50分ガーサーを出発
レテ(2480m)、9時35分着、ここからカリカンダキの吊り橋を渡り、ツロブギン峠方向
南へ支流の広い河原の右岸を歩き、右へ坂を登ってデウラリの集落へ入り、畑を過ぎ、
山裾を巻くように、崖の上の平らな牧草地に出る、14時15分.此所にテントを張る。

10月10日・土曜日
6時起床.6時30分モーニングコーヒー7時朝食、7時30分出発 ここから谷に入る
晴れ 尾根裾の岩場を巻く道はアップダウンがあり、真下は激流、危険を感じる
このような危険箇所を、羊たちは牧草地を移動する為通り抜けると聞き、驚いた
竹林にはいると、200m急降下、丸木橋を渡って、傾斜の強い200mガレ場を
はい上がって、土の急斜面のジグザグ登りとなる。ドコ(竹かご)に はみ出す位の重い荷を
額にかけた紐で担いでいるポーター達は、すさまじい形相をしている
各自てんでに休み休み登り切ると、11時.チョヤデウラリ(尾根上の平坦地)にでた
右上の丘には、羊小屋跡があり、家畜とか人間の糞が敷き詰めたようにつもり
つもっていて、臭気に苦痛を感じた  此所にテントを張る(3300m)
9日.10日コックは水くみに谷へ降りている。15時から雨、夜大雨

10月11日・日曜日
4時天気回復している ラッキー 4時30分起床.5時朝食.5時15分出発
晴れ テント場気温 1.5度 寒い
登りながら振りかえると、ツクチェピークに朝日が当たり始める--神がかって美しく感じる
尾根右斜面をジグザグに急登し、岩場の基部にでる、

ここからトラバース気味に 前面岩峯の内側を斜め左の切り通しを目指して登る、3800mあたりから積雪を踏み岩峯基部の切り通し風ルートを越えれば、草原の下に出た 登りながら振りかえれば 巨大な山容の ダウラギリ峯 が西にそびえている。
進行正面に ニルギリ峯 を見ながら草原上部の鞍部にでる、目前にアンナプルナ峯。
どちらを見たらよいか 目が浮気をしている。
8時15分到着.晴れ.4310m。気温マイナス1.6度.積雪15センチ.そよかぜ
このような間近で ヒマラヤの白き神々に接せられたことは、大きな感激です。
我に返れば、夏山の格好でいる自分に寒さを感じ 滞在25分で下山にかかる
テント場へは11時到着
全員で記念写真を写し、下山開始--レテのロッジまで一気に下る
私の感覚では、1000m登って2000m下る延べ11時間の行動は、疲れたけれど、お金と時間で得られない  神々に接せられた 神がかった 命の感動を得られました。
チームの皆さんに ありがとう と御礼を申し上げたい。
16時にレテのロッジへ到着

10月12日・月曜日
6時起床.6時30分モーニングコーヒー.7時5分出発 タトパニへ
晴れ タトパニのナマステロッジ到着14時10分
タトパニ温泉につかる(入湯料金40RS)日本人は私たちだけ

10月13日・火曜日
6時起床.すぐ朝食を済ませ、4輪駆動車に13人と全部の荷物をくくりつけ
晴れ 出発し、走れないだろうと思われる、メチャククチャ悪路を かろうじて走り抜け
ベニへ到着 ベニからは30人乗り小型バスに乗り換えて、バグルン自動車道を
峠越えして ポカラへは昼過ぎに着く  ポカラのロッジ泊まり

10月14日・水曜日
6時起床.8時朝食
晴れ 6時のロッジの屋上からの景観にビックリ--アンナプルナ連峯.マチュピチャレ峯
高度差7200メートル 言葉もなく ビデオカメラを回し続ける
ポカラからカトマンズへの飛行機より 全部見える 白き神々が全部見える興奮を味わった
データが無くなるまで、ビデオカメラを回し続けた(ガラス越しの為 鮮明でない)
コスモトレックへ行き、今回の行動の報告と精算をすませる。  ツシタホテル泊まり

10月15日・木曜日
観光および 戸張さんのレストランで情報交換

10月16日・金曜日
観光および モハン.シン.トラチャンロッジで情報交換

10月17日・土曜日
帰国へ カトマンズからバンコクへ  バンコクから成田へ

10月18日.日曜日.帰国

タトパニ ナマステロッジからの ニルギル峯
ツロブギン峠から見た ニルギル峯
ダウラギリ峯とツクチェ峯
アンナプルナ1峯
オンマニペニヘム この次もネパールへこれます様に祈願
メンバー チョヤデウラリ尾根の鞍部3300m
画像

アンナプルナ邂逅
日本へ帰ってきて、友人等からネパール行きの感想を聞かれ、多くの友達に写真等を見せている内
アンナプルナの関心の高さを知り、ツロブギン峠行きが多くの関心を集たことに驚いている

意外にも、処女峰アンナプルナの本を持っている人、読んだ事がある人がいて、
私は歴史の舞台を見てきた人間として、多くの質問を受けた。

アンナプルナは世界史なのだと、初登攀の2人は歴史的英雄なのだと強く感じました。
あらためて 処女峰アンナプルナの本を読み返した時、少しは質問に答えられる様になった。

4月27日の偵察ルートとして、またここに至るコースについて記述され、ここからベースキャンプまで
のコースの記述が続いている。帰路負傷した身で、担がれてゆく生々しさも、痛々しい
峠から 向こう側へ降りて ニルギルの山襞をトラバースし、沢を越えて 初登攀時のベースキャンプ
まで 行ってれば もっと感動があったかもしれない


身の回りを振り返れば、我が家に山の本の多い事、置ききれない物は水沢の家にも沢山運んだ
よくこそ古本屋で集めた物か! 一番多いのは、ミシン業界の図鑑類、全国の業界記念誌類
縫いに関する技術教本類、これは仕事柄(東京マイスターの称号を貰った関係上)当然で
世界中の展示会資料等 我亡き後、後継息子が引き継いでくれるが
山の本は、ちょっとみボロ本が多く、死んだら ゴミとして みんな捨てられてしまいそう!

父逝き、1年を経ずして 母も又逝き、私は家1件分の 形見の品々を 親族等に何回にもわたって
形見分けし 引き取り手のない物は、半年かかって毎日少しづつ廃棄を続け 地方自治の本も
地域の歴史本も、将棋の本も、沢山の吊り竿も(手作りのヘラ竿もあった)価値の見定めも出来ないまま
捨て続けた事を思い出します。(母の桐タンス等、私が使用する為に妻の承諾を取った物もある)

家具も沢山砕いて捨てた、アルバム類も、趣味の用品も、みんなみんな車に積むほど捨てた
工業用ミシンも集めている、岩手の倉庫には整理した物で300台以上、重量換算で30トン
息子が後で捨てなきゃならない物は、親父が元気の内に処分する様に言われて、どきっとした
処女峰アンナプルナ、ハラハラドキドキ、時には涙を浮かべ読んでいる本が
いずれは、捨てられてしまう事を考えると、胸が痛くなってきた。
年齢の若い、山登りをこれから長く続けられる、大切に保管してくれる、死んでも家族に捨てられない
この様な環境の人がいれば、将来ゆずる事を考えても良い
または 孫を教育して そのような人になる事を願う方法もある